考えるヒント14 『恋愛』
今日は『恋愛』についてお話したいと思います。
『恋愛』というものは基本的には子孫を残すことの延長上に特殊に発生してきたものです。従って人間以外の生物にはまったく見られず、ただ子孫繁栄のみを目的とした『性』があるだけです。
人間の『性』ももちろん本来は『子孫繁栄』であり『恋愛』はただの付け足しにすぎません。
従って現代の人間の恋愛に重きを置きすぎる『性』は、言わば「豊かさが招いた余剰の産物」と言えます。
現に、貧しい地域や原始的な国では『性』における『恋愛的要素』が格段に少なく、ほとんどを『子孫繁栄』に費やしています。
彼らの前で『恋愛』の話しをしたら間違いなく笑われます。そして人生を「全面否定」されるでしょう。それは彼らからすればお遊びにしか見えないのです。
そして実際、彼らのその感覚のほうが正しいのです‥
人は親の元を出て結婚をして子供を産みます。そしてそこから子育てが始まります。
突然自分で生きていく生活が始まり、そして豊かさではどうにも出来ない「子育て」が始まります。
子供を一人育てるのは想像を絶する「気力」「労力」を擁します。子供は計画どうりには決して動いてはくれないのです。
つまりここにおいて突然、『恋愛』から『子孫繁栄』に異性間の関係が置き換わるのです。
子供を得た瞬間、他の動物と同等の本能が目覚めます。
今まで『恋愛』の関係において異性を探しそして好んできたものが、突然全く異なる『子孫繁栄』の関係において異性を探し、好むようになるのです。
つまり、それまで好んできた異性に全く魅力を感じなくなり、他の全く異なる異性に目がいくようになります。
このようにして現代人は前代未聞の離婚多発社会を引き起こしたのです。
50年前までは「結婚8」に対して「離婚1」だったのが、2000年代には「結婚6」に対して「離婚2」になっています。
3組に1組が離婚しているのです。さらに別居、不和などを考えると半数以上になりかねません…
今、異性と『恋愛』をしているあなたは、結婚出産後、かなりの確率でいま目の前にいる異性を好まなくなります。
しかし今は『恋愛』としての『性』しか知りようがないのでその事を悟りようがありません。
従って「自分たちだけはそんなことはない」といくら信じあってもそれはどうにもならないのです。
では『恋愛』というものをどう捉えればいいのか?
それではここで『考えるヒント』です
そもそも最終的には必ず『子孫繁栄』を根本に置いた『異性関係』に変わっていくのです。そして『恋愛期間』1~4年に対して、『子孫繁栄が主の期間』50~60年にもなるのです。つまり人生のほとんどを『子孫繁栄』を根本に置いた『異性関係』において過ごすことになるのです。
ですから「今」ではなく「一生」を考えるなら、『恋愛』というものは一切しないほうがよいのです。『恋愛』をすればするほど『離婚』『不和』になる確率が格段に増すからです。
お見合いのほうが、もとから『子孫繁栄』を主に置いて行う分、遥かに良いです。それを昔の人は当然の如く解っていたので9割9分お見合いをしたのです。(インドにおけるデータでは恋愛結婚とお見合い結婚における離婚の割合が10分の1というデータが出ています)
どんな異姓と一生を過ごすかは、親や村長さんなど人生を見極めた年長の人に決めてもらうのが一番なのです。
3分の1の『離婚組』にあなたが入っても良いのなら『恋愛』をすればいいですが、将来産まれるであろう子供のことを考えると‥
やはり時が来るまでは『恋愛』のことなど考えずに、自分の成長を一番に考えるべきではないでしょうか?
そうすることでいずれ、格段に成長した自分に見合う、格段に素晴らしい異性が現れます。
人間などというものは一緒にいればたいてい勝手に好きになって行くものです。
それを「運命の相手」と勘違いして幻想を抱くのは、自分の人生と、子供に対してとんでもない不利益です。昔死ぬほど好きだった人を今はなんとも思わないのが人間の本性です。
自分自身がしっかり成長しきった上で「本当に素晴らしい、一生尊敬しあえる異性」と巡り会えるように、若いうちは「時間の無駄遣い」である『恋愛』は極力ひかえるように心掛けましょう。
『男と女』はどこまでも人間として付き合うべきなのです。
『男』や『女』を愛するのではなく、『人間』を愛するのです。
あなたは本当に人間を愛したことがありますか?
『性は間違った方向に自らの精神を導く‥』
考えるヒント 14 『恋愛』でした
to be continued‥
考えるヒント13 『親と子』
今日は『親と子』についてお話したいと思います。
人の人生は『遺伝子』が3割、『環境』が3割、『努力』が3割、『運』が1割で決まると言われています。
『遺伝子』は生まれながらに決まっているもので変えることが出来ません。そして『運』もどうすることも出来ません。
しかし残りの6割の『環境』『努力』は、やり方によっては0にもなるし6にもなります。つまり生まれた時点では人生は『遺伝子』の3割しか決まっていないということです。運命という言葉を口にするなら「3割の運命」と言い換える必要があるのです。ですから実際には「運命などほぼない」と言ったほうが正解ですね。
『環境』によってその人の人生は大きく変わります。そして幼い頃ほどその影響は果てしなく大きいのです。
人は10歳くらいまでに性格や神経や記憶力や頭の回転や情緒など内側が出来上がってしまいます。特に5歳までが最も大事です。
そして10歳ぐらいから25歳ぐらいまでに外側を作っていきます。
ですから最も大事な内側を作る時期は、全てを親に預けているということになります。なにも教えなければなにも出来ないし、悪いことしか教えなければ悪いことしか出来なくなります。
そして自分が人生を考えられるようになった頃にはすでに、外側を少し付け足すぐらいにしか出来ない状態になってしまっているのです。つまり自分の人生の3割をしめる『環境』は親の子供に対する努力でほぼ決まるということです。
そして自分の人生における『努力』の3割だけは、自分の力で実行することが出来ます。普通は「努力することは良いことである」ということは誰でもわかることですから、人生のどの瞬間からでもやろうと思えばどれだけでも努力できるはずです。
つまり、20歳ぐらいに自分の人生を考え出した時点で、変えられる自分の人生というのは、0.5割程度の『環境』と2.5割程度の『努力』だけなのです。自分の人生なのにたった3割しか自分の意志では造りあげていけないのです。
では親は子供の人生の何割をその手に握っているのか。
実は子供の人生の6割を握っているのです。
親は子供に最善の環境を与えることも、最悪の環境を与えることもできます。さらには忍耐強く努力することの大切さを教えることも出来れば、耐えることも努力することも知らない子供に育てることも出来ます。
つまり『環境』の3割はもちろん、『努力』の3割も親が意識すれば、子供に植え付けることで親が牛耳ることが出来てしまうのです。完全に「努力しない精神」を植え付けられた子供は、なかなかそこから抜け出して自分の意思で行動することはできないのです。
自分の人生以上に、他人の人生の重荷を自分自身が背負っているという重大事実をほとんどの人(親)は解らずに生きています。
そして裏を返せば、それだけ価値のあることを自分の人生の後半に『子育て』という舞台で行うことができるということです。
自分の人生は3割ですが、子供の人生は6割、そして何人も子供を育てればその数だけ親の役割は倍、倍に増えていきます。
何人もの子供をしっかり育て教え、立派な人間に導くということは、自分一人の人生を遥かに超えた何人分もの人生を自分が歩むことになるのです。
それではここで‥
『子育ては経験が最も大事である』と思い込んでいる世の中の親へ考えるヒントです。
『子供を育てたこともないくせに』という言葉をよく耳にしますが、それでは子供を育てたことのある人は格段に子育てが上手くなるのでしょうか?そうであるなら次男や三男、次女や三女、そして末の子になればなるほど格段に素晴らしい子供に育つはずですが、実際はそうはならず、似たりよったりがほとんどです。
そして初めての子育てで素晴らしい子育てをする人も多々います。
ということは『子育て』の上手下手は『経験』などはあまり関係なく、その人の子育てに対する『能力』や『意識』、『努力』がすべてだということです。
自分の人生以上に大事である『子育て』…
そして、その子育ては自分の『努力』次第でどのようにでも変わるのです。
『努力』という部分は自分の人生の3割を超えて、遥かに広がっていく可能性を秘めているということなのです…
実のある『努力(子育て)』をしっかりしていくためにも、若い間に自分をしっかり成長させておきましょう。
考えるヒント13『親と子』でした
to be continued‥
考えるヒント12 『100年前の自分』
今日は『100年前の自分』についてお話したいと思います。
いつからか人は『死』とか『死後』とか『あの世』とかいうものを考えなくなりました。身近に死を感じる機会が減ったこともありますが、大衆思想自体が「死んだら何も無くなって終わり」という方向に向かってきたのが何よりの原因です。
適当に何かをするのと死に物狂いで何かをするのとでは全く結果が異なってくるのはよくわかると思いますが、考える時も同様で、普通に考えるのと、死を感じながら考えるのとではその正しさ、深さは全く異なってきます。
つまり昔の人の方が遥かに深く考えていたということです。根底に常に『死』というものを捉えながら生きていたのです。
では現代の豊かな時代の中で忘れてしまった、人間が本来持っているべき『生』『死』という感覚はどのように取り戻せばよいのか。
余命1ヶ月と言われて初めて、窓の外に見えていた今まで何も感じなかった桜の木に、その奥底のはかなさ、美しさを感じ取っていたのではもう遅いのです。
それではここで『考えるヒント』です。
現代人は「今を生きる」「今が大事」という思想により「今の自分は正しい」「自分というものは変化しない」と思い込み、「自分は死なない」と思っている、もしくは「目を背けて考えない」ようにしています。
しかし本当に大事なのは「今」ではなく「一生」なのだということをまず理解しなければなりません。「今が大事」だと、苦しいことはやめて楽しいことを優先してしまいます。そして後々効果が現れるようなことはやらなくなって、今すぐ出来る簡単なことのほうに流れていってしまいます。果ては子孫や家や世の中のことなども考えない自己中心的な考えに至ります。
ここで発想を変えます。
『今』ではなく『全ての時間』を平等に大切だと捉えるのです。
自分の一生も、その後の世界も、その前の世界もすべて大切だと…
さて…100年後、あなたはもちろん生きていませんから、あの世にいるとして、空から地球を眺めて見ましょう。あなたのひ孫あたりがいるかもしれませんね。
100年後の地球です。
そうして空からこの日本を眺めた状態で、そこから時間軸を少し戻していってみましょう。50年ぐらい戻れば老いたあなたが現れます。
あなたは成功して安らかな老後を過ごしていますか?それとも失敗して悲惨な人生を歩んできてませんか?あなたの子供は?
それではさらに50年、時を戻してみましょう。
20歳前後のあなたが現れます。
まだ人生のこともよくわからず、ただなんとなく生きていたあの頃。「もっと必死になって頑張りなさい、後で後悔するよ!」と叫んでもあの世からの声が届くはずもありません。
届くはずもない声…
その声がもし届いたらあなたは100年前の自分に何と声をかけますか?
必死になってあなた自身にかけた声…
『それこそがあなたの心からの本当の本物の声です』
そして声をかけられた『100年前の自分』、それこそが『今のあなた自身』なのです。
もし100年前の自分に戻れたならあなたはどんな人生を歩みますか?
『今』だけを見ている20歳前後のあなたの考えは本当のあなたの考えではありません。
100年もの時間をしっかり心に刻んだ、あの世から眺めている『100年後の自分の想い』こそがあなたの本当の人生に対する想いなのです。
本当のあなたの考えを知る方法はこれ以外にはありません。つまり自分の周りのものに流されながら考えている『今の考え』はどこまでいっても『あなたの本当の考え』には成り得ないのです。
もちろん正確に100年後のあなたの考えを知ることは出来ませんが…
しかし想像することでなんとかその想いを心に持ちながら生きていくことは出来ます。
さて…
目を閉じてしっかり考えてみてください
100年前の自分に戻ることが出来たあなたは人生をどう生きますか?
考えるヒント12『100年前の自分』でした
to be continued…
考えるヒント11『平等』
今日は『平等』についてお話したいと思います。
現代は『平等』という精神が行き過ぎた状態にあります。
人々は『平和』『争いを避ける』『許す』『命は地球よりも重い』『オンリーワン』といった美しい言葉に過剰に反応し、いつの間にか人類にとって何よりも大切なことである『競い合う』ということを忘れてしまいました。
学力などもがた落ちになりましたし、例えば子供たちに徒競走で手をつないでゴールさせている光景などはまさに異様です。
それは豊かさが招いた惨状にほかなりません…
遥か昔に人類が誕生してからほんの50年ほど前まで、人々は何とか自分や家や部族を守るために必死でした。必死に子供を育て、少しでも生きていくすべを身につけさせ、強く賢く忍耐強い誰にも負けない子に育てました。そうしないと生きていくことすらできないのです。もちろん地球上の他の生物も同じように必死でした(今も必死です)。
そういう弱肉強食の中で揉まれてこそ人類は発展してきたのです。
そのように親や周りの大人が子供たちに必死にしつけ、教え、競い合わせ、時には自分の命を投げ売ってでも大切なことを教えました。
そうした必死さの中から何が生まれてきたか
人々が競い合う中で、芸術が生まれ、学問が生まれ、心(思想、宗教)が生まれました。
競い合うということは、奪うことも含まれますから、必然的に『悪』が生じてきますが、それ以上にその何倍もの『人間にとって大切なもの』が生まれてきます。つまりそのような『必要悪』というものがなければ、いくら『美しい言葉』を並べても何も生まれないのです。
今のなまぬるい現代の世界で育った人間は必然的に個々のレベルが下がり、そこから生まれる芸術や文化も底の知れたものになってしまいます。
生まれてから死ぬまで、死に物狂いで必死にやっていた、100年前、1000年前の人たちに比べれば、そんな『平等』社会で育った現代のやわな人間が太刀打ちできるわけがないのです。
『オンリーワン』というのは「どんな人でもそれぞれに素晴らしいから比べてはいけない」という意味ですが、これは「全然努力しなくてもそれでも素晴らしい」「頑張って素晴らしいことを成し遂げた人も、怠けて遊びほうけた人も、人に悪事ばかり働く人もみんな素晴らしい」という意味も含んでおり、現代はまさに「オンリーワン」という言葉にあぐらをかいて怠けて座っている人が後を絶たない時代であります。世間がそれをオンリーワンといって奨励してくれているのだから当然そうなりますね。
「戦争」「貧困」「災害」「病気」「暴力」「飢餓」といったものは誠に悲惨なものではありますが、そのどん底からはい上がり、競い合い、本当に素晴らしいものは何かを比べ合い考え合って、何とか生きていく中でこそ
『本当に素晴らしいもの』
が生まれてくるのではないでしょうか?
『平等、平和、簡単に許す、何よりも命が大事、オンリーワン、豊か過ぎる、比べない」
このような世の中で本当に素晴らしいものは生まれるのでしょうか?
もしかしたら…人類の進歩の中の、20%~80%の段階に当たる時代でしか、本当に素晴らしいものは生まれ得ない、原始すぎても近代化すぎても本当に素晴らしいものは生まれてこない、
そのはざま’の進歩の途上の激動の時代でしか生まれてこない、というのが素晴らしいものが生まれるための『法則』としてあるのかも知れませんね。
さて、我々現代人はその波に抗って、もう一花
『本当に素晴らしい花』
を咲かせることが出来るでしょうか…
考えるヒント 11 『平等』でした
to be continued…
『音楽を考える 2』
『この宇宙は複数のもので出来ている』
これはつまり、宇宙は0でもなく、1でもないということである。
『複数』であると必ず発生する基本数がある。それは『2』と『3』である。『複数』のすべては『2』と『3』で分解できる。
つまりこの宇宙はすべて『2』と『3』が積み重なって出来上がっているということである。
『4』は2と2。『5』は2と3。『9』は3と3と3。もしくは2と2と2と3。といった具合である。
したがって音楽にも基本的には2拍子系と3拍子系しかないのである。
そしてこの宇宙がなぜこれほど素晴らしい多彩なものに溢れているのか。それは単体ではなく複数であるからで、複数のものが重なり関係を持ってこそ整うのであり、『1』が2度繰り返されて初めて整いが生まれるのである。
その最小複数である『2』を2回繰り返した時にこの宇宙で最も整った『4』という数が生まれてくる。
この『4』というのは複数を複数にしたときの最小の値であり、素数ではない数の中で最小の値である。
つまり『4』ほどシンプルで整った数はないのであり、この宇宙は『4』へ向かう、もしくは落ち込んでいき、そこで整い、そこへ行き着くのである。
その証拠にこの世界のほとんどのものは四角形である。円や三角形や五角形のものを見つけるのが難しいぐらい、見渡すかぎりほとんどが四角形である。
そして特に人間の作ったものに四角形が多いのは、そこへ向かわせているという証拠なのである。『4』は何よりも安定するのだ。
そしてその恩恵を最も受けているものの一つに『音楽』がある。
音楽は時間をつかさどる芸術であるが、必ずそれは4分割される。実際には2分割だがより安定するために『2』を2回繰り返し『4』となる。
音楽のほとんどは4拍子であり、例え3連符を3回繰り返す9拍子を刻んだとしても、その9拍子を4回刻んだところで安定し36が基本の小節になる。
このように世界中どこで音楽を奏でようとも、どんな音楽であろうとも、必ずその音楽は『4』に支配される。逆に『4』という数のおかげで音楽は生まれることが出来たともいえる。
例えば5世紀頃発生したとされる日本の俳句、短歌を見てみる。
『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
『春すぎて 夏きにけらし しろたえの ころもほすてふ 天の香久山』
これらは明らかに4拍子である。手で拍子をとればよくわかる。しかも誰が唄っても『鐘』の前に8分休符が入るというぐらい正確に、どうやっても4拍子にしかならない。
音楽知識も楽典も楽譜もなにもない1500年も前の時代に、言葉をより美しく語ろうとした結果が、4拍子というところに自然と落ち着いたのだ。
ちなみに『字余り』というものは、5が6や7になったり、7が8になったりする。俳句や短歌では頻繁に使われるが、決して7が2字余りで9になっている歌は一つもない。
なぜか‥
それは4拍子には8分音符が8個しか入らないからだ。だから5を字余りで6や7にしても、後ろに休符が3つ分あるから大丈夫だが、9にすると4拍子ではなくなってしまう。これが字余りで8を超えることがない理由なのである。
お経となるとさらにすごい。だいたい2500年前からあると言われているが、基本的には4拍子で刻み、ここぞという部分や段落の変わり目などに随所に3拍子をはめ込んでくる。
あれはどう聴いても『第九』のすさまじいリズムの部分などよりも遥かに難しい。
昔の人はいったいどんな精神を持って短歌やお経などを作ったのであろうか。
おそらく言葉に最大に力を持たせることを死に物狂いに追求した結果であろうが、本当に頭が下がる想いがする。
つまり音楽の発祥は少なくとも2500年よりもさらに前の人たちによって始められたということなのだ。
もっと言えば宇宙が始まった時点で音楽も始まったともいえる。
この宇宙では『4』が必ず基本となるよう、宇宙の秩序が定められているので、宇宙中どこへ行っても、どんな異星人が音楽を奏でても、必ず基本は『4拍子』となるのである。
つまり100万光年彼方でも同じように音楽は刻まれるのである。
そして、言葉に少しでも想いを込めて力を持たせようとしたなら、
『そこに必ず“音楽”は発生するのである』
『音楽を考える 2 』でした
To be continued‥
『音楽を考える 1』
今日は人の『脳』が『音楽』をどのようにとらえているか、について考えてみたいと思います
まず『モナリザ』を想像してください。
絵を思い浮かべれば即座に絵が思い浮かんでくると思います
次に宇多田ヒカル『Automatic』を想像してみてください
音楽を思い浮かべた時は、まず瞬間的に総合イメージが現れ、そして次の瞬間にそれを奏でているアーティストが現れ、その後に曲が出てきます。
なぜか音が先に現れることはありません。
そして驚くべきことになぜか音楽は、音が思いだせなくても、イメージとしてだけで現れることがあります。
もっと正確に言うと、瞬間にAメロ、Bメロ、サビを頭の中で奏でられるわけはないのに、イメージでAメロ、Bメロ、サビを瞬間的に想像できます。
つまり人間の脳は、5分間の曲の流れを一つの『形』としてとらえているのです。
いろいろな曲を思い浮かべて想像してみてください。それらの曲が瞬間的に『形』として現れてくると思います。
これはつまり、『音楽』とは『時間』をつかさどる芸術であるからです。『程』のある『音』を『時間』に乗せて奏でていくのが音楽です。
時間を必要とする以上、音楽というものを一瞬で奏でるのは不可能です。
それを人間の脳は『形』としてとらえることによって一瞬でイメージで奏でているのです。
これはつまり、人間の音楽の聴き方、とらえ方が2種類あるということです。
実際に聴こえてくる音をそのままとらえる方法と、『形』として頭の中でイメージでとらえる方法です。
そして前者の場合を深く考察していくと、なんと『形』でとらえる方法も同時に使いながら聴いているのが解ると思います。
純粋に今奏でられている音のみをとらえるのは不可能なのです。必ず自分の頭の中のイメージと共にしか入ってこない。逆にイメージを0にすると何も入って来なくなります。それは「なにか音がするなあ」というような動物が音楽を聴いている状態となんら変わらなくなります。
以上のことを総合して考えていくとわかるのは、つまり一つの音楽が、すべての人間一人一人に色とりどりに別々の聴こえ方をしているということです。実際には全く同じ『音』が聴こえているはずなのに、それぞれに違った『音楽』が聴こえているのです。
さらに進めると、一人の人間でもその音楽を聴く環境や聴いた回数によってその音楽の聴こえ方が変わってしまうのです
『楽譜どうりに音楽を奏でることはできるが、皆が同じようにその奏でられた音を聴くことは出来ない』
人間のイメージする力を育てるためには、文化や情緒や学問を学び、そして人生において多くを経験することが必要です。
あなたのイメージがより広がれば、広がった分だけ、同じ音からより素晴らしい音楽が聴こえてくるようになるでしょう。
音楽とはすなわち
自分自身のことなのです
『音楽を考える』でした
To be continued…
考えるヒント10『性善悪説』
今日は『性善悪説』についてお話したいと思います。
人間には色々なタイプがおりますが、人に悪いことばかりする人もいれば、人に善いことばかりする人もいます。「善」と「悪」、はたして人間の本性とはどちらなのでしょうか。
過去の様々な哲学者、思想家、宗教家がこの難題に取り組みましたが、意見は真っ二つに割れ、人類にとっての最大の疑問となっています。
その最たるものが『性善説』であり『性悪説』です。
「人は生まれながらに善である」
「人は生まれながらに悪である」
はたしてどちらなのか?
殺しあいの歴史を見れば悪であり、産み育てる歴史を見れば善である。
それではここで『考えるヒント』です
人は生まれてからの育てられかたで、どんな精神でも持ちうるのであるから、この問いは生まれた時にすでに持っているものが『善』と『悪』のどちらなのかという問いであるのであり、つまりそれは人の「DNA」に「善の行動」もしくは「悪の行動」のどちらが刻まれているか、ということなのです。
この世の生物にはすべて、子孫繁栄のDNAが刻み込まれています。なぜならそれがない種(しゅ)、もしくは弱い種は過去にすでに絶滅しているはずで、現在にその種が受け継がれている=強烈な子孫繁栄のプログラムがDNAに刻み込まれているということです。
それでは子孫繁栄のためには、相手を殺して相手の物を奪うべきか?それとも相手と手を組んで仲良く分け与えるべきか?
答えは
「リスクを侵さず奪えるなら奪うべきであり、それにより怪我や落命の不利益のほうが可能性が高ければ仲良くするべきである」
(ちなみにこれはルールがまだない頃の人類の話しの例えであり、その頃とDNAは現在もなんら変わっていない)
これは森に木の実をとりに行くのも、獣を狩りに行くのも、他の部族を攻めるのも共通していえることです。
リスクがあるなら避けるべきで、森や他部族と共存して生きていくのもまた子孫繁栄にとっては大事なことなのです
つまり、「衣食住」を整えるためには
『悪』=「自分以外から奪う」
ことが必要であり
自分の「命」のリスクを考えた時には
『善』=「共存の道を選ぶ」
ことが必要なのです。
つまり人間には『善』と『悪』の両極が必ず刻み込まれているのです。もしどちらかが欠けていれば人類はとうの昔に滅んでいたことでしょう…
『性善悪説』…こそが人間の本性なのです
あなたにも必ず『悪』があります…
あなたの着ているもの…
あなたの食べているもの…あなたの住んでいる家…
すべてこの地球上の生物から奪いとったものです…
そのことをきちんと理解し、それでもなお、私たちは生きてゆかなければならないのですから、せめて出来る限り
「真」『善』「美」
を考え、それに一生を捧げるべきなのではないでしょうか…
考えるヒント10『性善悪説』でした…
To be continued…
考えるヒント9 『自由』
今日は『自由』についてお話したいと思います。
大空を羽ばたいていたあなたは、とりかごに閉じ込められてしまいました。自由が奪われてしまいました。
あなたはなんとかとりかごから脱出しました。あなたは再び自由になりました。
しかしその渡り鳥の世界にはもともとルールがあって、絶対に南の島に行くことだけをひたすら考え、そして決められたレールの上をひたすら南の島まで進まなければならない。
だからあなたは再び大空に舞い上がり、ひたすら南の島に行くことだけを考え、みんなが飛んで行くレールの上を他の鳥たちと一緒に渡って行きました。
ある鳥がいました。みんなとひたすら南へ飛んでいたその鳥は突然「こんなレールの上をひたすら飛んで行く一生というのはおかしいのではないか」と考えだしました。そしてみんなと違うルートを通ったり、違うことを考えようとしますが、いままで他のことをやったことのないその鳥には、結局みんなと少しばかり違うことをしただけで同じ島へ渡るしか道はありませんでした。
また他の鳥がいました。その鳥もまたとりかごに閉じ込められました。そのとりかごは厳重でそこからは出られなくなり、二度と大空を自由に飛ぶことはできませんでした。
その鳥はすることがなくなり、誰もかまいにも来てくれないのでしょうがないから一人でひたすら唄い考える日々を送りました。
また別の鳥がいました。その鳥には変わった友達がいて、「南の島へ行くのはやめてこの大きな木に留まって一生自由に考える日々を一緒に送ろう」と言うので、レールの上を飛ぶのはやめてその木の周りで唄い考える日々を過ごしました。
最後の鳥です。この鳥は幼い頃から親に、「南の島へは行かず、自分で考えて大切だと思うことを自分の力でやりなさい」と教育されていたのでレールの上は飛ばずに、世界を自由に飛び回り、自由に考える日々を送りました。
本当に自由なのはどの鳥か?
1羽目は体は自由ですが『精神』に自由はありません
2羽目はどん底まで落ちた経験がない分、結局自分だけでは大きく人生を変えることはできませんでした
3羽目の鳥は動けませんが自由に考えることはできます。この鳥は例えば長い間病院で過ごすのに似てますね。1匹目は環境が変わったことにより深く考えられるようになるチャンスを逃したのです。
4羽目のように環境自体を変化させるほうに導いてくれるような仲間と出会った鳥は非常に運がいいですね。
5羽目が1番恵まれています。幼い頃から自分で深く考える癖を身につけてもらっていれば、あとは放っておいても勝手に成長していき、自由自在に精神や人生を作り上げていくことができます。
あなたが『自由』であるということは、決して「自由に行動できる」ということではなく、あなたの「精神が自由である」ことをいうのです。
ですから友達や、家族や、テレビや、携帯や、インターネットや、世論や、宗教や、世間一般の流れに完全に身を任せてしまっているあなたは、見た目は『自由』に考えているように見えますが決してそれは『自由』ではなく、流れに身をゆだねているだけなのです。
本当に『自由』を得たいなら、自分自身の力で考え抜いていかなければなりません。
そのためにはそれまでに得て、頭の中や心の中で固まっている知識や考え方や固定観念を一旦無にして、一から造り直す以外に方法はないのです。
そうしてすべてのことがらに対して『すべてを自分で考える』ことができるようになった時、もはやあなたには何の思想も宗教も世の中に氾濫している情報も人の助けもいらなくなり
そこには‥『悟りの境地』が現れます
本当の本物の『自由』とはそのようなものなのです
考えるヒント9『自由』でした
to be continued‥
考えるヒント8 『放物線のゆくえ』
今日は『放物線のゆくえ』についてお話したいと思います。
人類は科学の進歩により大きく飛躍してきましたが、果たしてこの先どこまで進歩し続けて行くのか、大学者ですらその答は出せずにいます。
人類はどこまでも進歩してやがて宇宙中に広がっていくという人もいれば、人類は衰退すると言う人まで様々です。
それは当然のことで、今の科学や思想をどれだけ駆使しても、もはやその先は複雑過ぎて正確な答えなど出しようがないのです。
それではやはり答えはでないのか。今現在の進歩が95%まできているのか、それともまだ10%、20%までしかきていないのか。
それではここで『考えるヒント』です
石を投げると放物線を描いて地面に落ちてきます。手から離れるとともに徐々に上がっていき、最高点に達し、そのあとは徐々に速度を上げながら落ちてきます。何かに当たるとかすごい突風が吹くなど、他の要因がない限り必ずその放物線通りになります。突然また上がり出すなんてことはありえません。
このような放物線は目に見えるもの、目に見えないもの、この宇宙と人間の精神の至る所に無限に存在しています。
例えば「人間の科学の進歩」について見てみましょう。
人類史始まって以来ほぼ平行線だった推移は、400年ぐらい前ルネッサンス後ぐらいから徐々に上がり始め、19世紀には格段に伸びはじめ、20世紀前半に最高潮の伸びを示します。そして20世紀後半も80年ぐらいまでそこそこ伸びていき、それ以降は目新しい伸びはあまり示さなくなり、2000年あたりにはほぼ平行線に近い状態になっています。
この『放物線』を見れば一目瞭然で、もはや人間自身の手ではこの綺麗な曲線を歪めることはできないのであり、今後何百年、何万年経とうと現在とそれほど変わったところはないのです。決して未来映画のようにはなりません。
つまり人類の進歩は95%のところまできてしまっているのであり、残りの5%を何百年もかけて少しだけ進歩していく緩やかな『放物線』が、この先の人類のたどる未来なのです。
このように宇宙人でも飛来しない限り科学の進歩というこの『放物線』は決まった曲線を描くのであり、あなたの周りや、この世に無限とある『放物線』もしっかり見ていけば、
『その曲線の行き着くところ』
が、「答え」として見えてくると思います。
だんだん仲が悪くなっていっている二人はそのうち別れが訪れるし、だんだん仲が良くなっていっている二人はやがておしどり夫婦と呼ばれるようになります(なにか他の要因が働かないかぎりにおいて)
だんだん業績が悪化している産業はさらに衰退するし、温暖化はどんどん進むし、少子化はさらに加速し、世界中テロだらけになり、GDPは上がり続け、今後半世紀は世界中が豊かになり続けます。
人はよく、感が働くときがありその先の展開が読める時がありますが、それこそが『放物線のゆくえ』を頭の中で描けている証拠なのです。
日頃から常に放物線を描く能力を高めておけば、周りの人よりも数段先の読める人間になります。
人生のどん底の時でも、何か光が見え始めたなら、その放物線が、その人の心の支えとなって、より良い方へ導いてくれるのです。
このように様々な『放物線』に彩られ、そしてそれらが複雑に絡み合った曲線の集合体が、この宇宙であり人間の精神をつかさどる源なのです。
すべての精神、物質、事柄には『放物線』が必ず内在しているのですね。
あなたの人生の放物線は今どちらを向いていますか‥?
考えるヒント 8 『放物線のゆくえ』でした
To be continued‥
考えるヒント7 『エントロピーの増大』
今日は『エントロピーの増大』についてお話したいと思います。
人はなぜ、こうするべきということが解っていてもそれを行わないことが多いのか。
「今テレビを見ているよりも、本を読んだほうが為になる」
「ばかな連れよりも、教えをいただけるような人物と会ったほうが為になる」
「勉強しないより、したほうがいい」
「ぼーっとしているより、集中力を持って瞑想したほうが為になる」
「練習しないより、練習したほうがいい」
これらはすべて真であり、誰もがそうすべきだとは解っている。しかしそれを実際行っている人は稀である。何故一見とんでもない矛盾にみえるこのような状態に人々は甘んじるのか。
それは『エントロピーの増大』への流れがこの宇宙を支配しているからです。
エントロピーの増大とはエネルギーや物質が分散していくさまを時間を加えた尺度で現したもの。
つまりこの宇宙は誕生の瞬間から、エネルギーが一点に集まった状態から、宇宙中に分散しきってバラバラに冷え切った状態へ永遠に変化し続ける、それがこの宇宙のさだめ、宇宙の法則なのです。
具体的に説明すると、例えば太陽は50億年後にはエネルギーを使い果たし冷え切って崩壊し、分散して粉々の残骸が宇宙中を漂っている状態になります。
もっと身近なもので説明すると、100度の熱湯はエネルギーが分散し、そのうち周りの空気と同じ温度になるし、水を入れた容器に墨汁をぽとりと落とすと、墨汁は見る見る分散して水に溶け込んで薄い黒水になります。決してもとの真っ黒な墨汁にはもどりません。
このように時間が経つとともにエネルギー(物体)が分散していく流れがこの宇宙の根本的な法則なのです。(生命は一時的にこれに反した動きをしますが最終的にはこの流れになります)
この『エントロピーの増大』への流れは宇宙の法則でありますから、人間も基本的にはそれに支配されています。だからほっとけば人間は動かなくなって分散していき、やがて土や空気や水になってバラバラになります。それを出来るだけ遅らせるために、人々は衣食住を整えたり、ルールを整えたり努力をします。
『努力することが何故しんどいのか』
もう解ってきたと思いますが初めに挙げた行動は、前者がすべて『エントロピーの増大』に身を任せた状態であり、後者は『エントロピーの増大』に反する人間の生命活動のなせる技なのです。
解りやすく言うと『なまけている人』は宇宙に負けているのであり、『頑張っている人』は宇宙に打ち勝っているのです。
放っておいても勝手にエネルギーが集結してくれれば楽なのですが、この宇宙ではそうはいきません‥
『最も勇敢な者ですら、自分の知っていることを実行することは稀である』
by ニーチェ
あなたは自分のすべき事を知ったなら、宇宙の法則に背を向け、それを実行する勇気を持っていますか‥
考えるヒント 7 『エントロピーの増大』でした
そして私はもう一つの宇宙の法則を発見いたしました。
『精神』は『エントロピーの増大』の法則に反している。
ゆえに人間は『真善美』をひたすら追求するべきなのです。
考えるヒント6 『無知の知』
今日は『無知の知』についてお話したいと思います。
『人は知っていることしか為しえない』
このことを理解しておくだけで、自分の人生の不透明感も、周りの人への恐怖心もすべてなくなります。
自分の「知」らないことを周りの人ができるのは、周りの人がそれを「知」っているからです。もともと周りは出来て自分は出来ない運命、というわけではないのです。逆に自分にしか出来ないのは自分だけが知っているからに他なりません。
それは誇ることと言えば誇ることではありますが、ただ人よりもそれに多くたずさわって知っているから出来るのであって、当たり前のことです。
別の意味で考えれば、例えばレストランなどで突然会計のレジが列び出します。それまでみなさん楽しそうにバラバラの席で食事していたのが、なぜ突然列びだしてうしろでイライラしているのか。
それはある一組がレジに立った途端、全ての客が、それまで意識してなかった「レジに立つ」「帰る」という事柄を『知』ったことによって、レジに立つ行為が出来る状態になったということです。それまでの会話に花が咲いた状態ではレジに立つ意識が働いていない状態、つまり知らないのとなんら変わらない状態ということなのです。
人は知っていることしか出来ないのです。
ちなみに「今並んでいるからもう少し席にいたらレジがすく」ということを知っている人は列ばなくてすみます。
これは一例で、日々よく観察していれば、知っていることしか出来ないということが、全ての人間に当てはまるのがよくわかってくると思います。
そういった部分におけるそれまでの知識、考えが足りない分、知った瞬間にほとんどの人間は反射的な行動をとってしまうのです。
あらかじめその事実が理解できていれば、無駄な言動や反射的な行動をしなくて済みます。
たいていの人は、人間は勝手に成長していくものと勘違いしていますが、そんなことはありえません。知っていることしか出来ないのですから、より努力して多く知った人はより成長するし、少ししか知っていかない人はほとんど成長しません。子供みたいな大人になります。しかし子供のような感受性はなくなりますから…厳しいものです。
わかりやすく言えば、赤ん坊にほんとに何も教えてやらずに育てれば、体だけが成長してあとは何も成長しません。話すことも、人に気をつかうことも、ピアノを弾くことも何もできません。
だから親は必死で子供を育てるべきだし、本人は『無知の知(自分は知らないということを知る)』を知ったなら必死で努力してより知ろうとするべきです。
知れば出来るようになります。より多く知ればより多く出来る(考えられる)ようになります。
知り方は様々です。読書、人との関わり、学校の勉強、自分の中での試行錯誤。知ることの大事さを理解していればどんなところからでも学ぶことができます。そうして初めて、自分の狭い井戸から抜け出して、この広い世界や人間の奥深さが解るようになるのです。
人生の出発点は二つあります。一つは『誕生』、もう一つは『無知の知』を知った時です。
自分は知っている、自分は正しい、と思い込んでいたということを知った瞬間、もう一人の自分が生まれてきます。
二人の自分がしっかり対話してより良い答えを導き出せればすばらしいですね
考えるヒント6『無知の知』でした
To be countinued‥
考えるヒント5 『中道』
今日は『中道』についてお話ししたいと思います。
この世界には、すぐに人の意見に流される人もいれば、頑固に自分の考えを曲げずに貫き通す人もいます。
しかし自分の考えをすぐに変えてしまうと何が正しいか解らなくなってしまうし、人の意見を全く入れないと人は成長出来なくなります。100%正しい人もいなければ、100%間違っている人もいないのです。
『極端』というものが人間の成長を阻みます。
つねに『中道(ちゅうどう)』の意識で生きることこそ人間を大きく飛躍させます。
まず、この宇宙や世界は必ず二つの「対」で成り立っていることを理解しましょう。
『天と地、男と女、高い低い、善と悪、見ている人と見られている対象、私の考えとあなたの考え、敵と味方』
どちらかが存在しなくなれば、対のものも存在しなくなります。
悪があるから善が成り立つ、他人がいるから「自分の考え」が存在し得るのです。
たとえ嫌いなものでも、その「対」の存在は果てしなく大きいということを理解しましょう。
そして『個』と『関係』の章でも述べましたが、この世界は無限の『個』によって成り立っています。そして2つの『個』と『個』には必ず『間』が存在します。
例えば二つの全く異なる「答え」に「間」があることを認識した上で二つの答えを紐といていくと、その二つの答えのより良い部分を繋ぎ合わせた新しい「答え」がでてきます。そしてその新しい答えはたいていの場合、よりすぐれていることが多いのです。
『中道』を意識することで、全く違う思想を持った国々も相手の国を理解できるようになるし、自分の国の間違った部分も見えてきます。テロなども起こらなくなります。
自分の考えをしっかり持った上で人の意見をしっかり吟味する癖を身につけ、常にその「間」に意見を持っていく。これこそが人類が長年培ってきた『英知』を得る秘策なのです。偏った考え方では絶対に文化は成熟しないのです。
ただ、文化は成熟していてもそれを学べる土俵がないと個人は成長できません。例えば偏った親の考えの元で育つとその子は堅物になり、人の意見を一切聞かなくなります。その場合どんな素晴らしい文化の中にその子をほうり込んでも、考えを閉ざしている限りその子は成長できないのです
つまりもっとも大事なことは、思想が素晴らしいとか、答えが正しいとかそういったことの以前に、自分の考えとは異なったものをいかに柔軟に受け止められるか、それこそが人間の出発点なのです。
あなたはそのスタートラインに立てていますか?
オギャっと生まれた時にはなんの文化も考えも知らなかったはずです。
もう一度『中道』の精神を持って0からスタートラインを切れば全く違った素晴らしい文化や考えが見えてくるかもしれませんよ。
常に「自分の意見」と「相手の意見」の間に本当の答えがあることを意識しながら生きていくように心掛けましょう
『自分』とは『対』が幾重にも折り重なって創造された『対の結晶』なのです
考えるヒント5『中道』でした
To be continued…
考えるヒント4 『アイデンティティ』
今日は『アイデンティティ』についてお話したいと思います。
人は一般的に、自分という確固たるアイデンティティ(自己)があると思っています。しかし、実はアイデンティティというものはありません。というより人間においては存在しえないものなのです。
その理由は、人間の人生を形作るものは、3割が遺伝子、あとの7割は生まれてからの「環境」、「努力」 「運」で決められるからです。つまり人間は日々生きていく中で否応なしにどんどん変化していく生き物なのです。
例えばアフリカで生まれたばかりの黒人を日本に連れて来て、日本の文化の中で育てれば、見た目以外はすべて完全に日本人になります。例えば夏目漱石を赤ん坊の時にばかでどうしようもない親に預けると馬鹿になるし、宇多田ヒカルを音痴で音楽嫌いな親の元で育てると音痴になり、勉強嫌いだった人が突然本を読みまくりだしたらその人は賢くなります。
このように人間は日々の環境や意識によってどんどん変化していく生き物なのです。
例えば5年前の自分を思い出してください。今の自分と比べればまるで別人みたいに未熟ではありませんでしたか?
それは時間軸で繋がっているだけで、実は別の個体なのです。実際に自分の身体は3年以内にすべての細胞が入れ替わります。しかもそのほとんどは2ヶ月以内に入れ替わるのです。意識も身体も実際に別物になっているのですから、言わば昨日の自分ですら少しだけ違っているという事実に気付きませんか?
そこで『考えるヒント』です。
日々過ぎるごとに変わっていくアイデンティティ(自己)。その変化は誰にも止められません。ゆえに確固たる自己はないのにそれに固執していてはいつまで経っても人は成長しません。自己の変化を嫌う自己中心的な人間が増えたため、現代は子供のような大人が増えたのです。
ここでしっかりと発想を変える必要があります。
人は生まれてから死ぬまで永遠に変化していく生き物であり、確固たるアイデンティティはないものである。そこにあるものは変化していくアイデンティティのみ。つまり、その『変化していくアイデンティティ』こそが本当の『自己』だということに気付きませんか?
このことが本当にわかった時、人は変化を恐れなくなり、そして、
「生まれてから死ぬまでの自己をすべて自分だと受けとめ、愛し、尊いものだと悟るのです」
「環境」と「意識」を変えれば人はいくらでも成長できます。
“アイデンティティはいくらでも変えられるのです〟
考えるヒント4『アイデンティティ』でした
To be continued…
考えるヒント3 『個と関係』
人は普通、周りのものを見たり考えたりするとき、基本的に『個』のみを見て判断しています。
あの人間のレベルは高い。あの歌はよい。この思想は難しい。あの選手はダメだ。この石は大きい。小鳥が綺麗に鳴いている。あの山の森は美しい。
しかし実際はこの宇宙のすべては『個』と『個』の関係、つまり何億、何兆、無限とある『個』がそれぞれ関係をなし、それぞれの価値、もしくは存在を創り出しているのです。決して『個』のみでは存在しえない、『関係』こそが『個』の形而上的側面、つまりこの宇宙の目に見えない部分を司っているのです。
まず、個の裏には必ず関係が存在していることを認識しない限り、この世界を正しく見ることはできません。
「あの石はなぜ大きいのか」
それは周りの石が小さいからです。周りのものとの関係によって、石は大きく硬いものであると認識されているに過ぎないのです。
「あの石はなぜ高価なのか」
それは人間がその石に対して希少価値を見出しているからです。猿にとってはその光輝く美しい石も、ただのクルミを砕く硬い道具にしかならないのです
上司が転勤した途端に能力を発揮し出す部下がいます。彼はまさに上司との関係が悪かったために能力が低いように見えていただけで、実は能力を発揮しやすい上司のもとでは、途端に出来る男に存在が変化するのです。
遥か彼方にひっそりと存在していただけのあの星は、人類に発見されるやいなや、白鳥座X1-5とかいう固有名刺が、宇宙の片隅の地球との関係で出来上がってしまうのです
あの美しい山の木々も、様々な関係が重なり合って何千年、何万年姿を変えながら存在しているのです。
『個』と『関係』を十分に理解した上でこの世界を見ていけば、例えば「環境問題」なども正しく理解できるし、この世界の現状も日本の現状も、そしてこの宇宙の存在自体のことも正しく解ってきます。自分はどんな人間なのか。今何をすべきなのか。どんな場所に自分を置けば自分の能力が正しく発揮できるのか。あの人のためにはどんな関係を築くべきなのか。このグループにおいて最も能力を発揮しやすいのはどんなタイプの人間か。日本という国は世界の中でどのような存在なのか。
このように、『個』だけを見るのではなく『関係』をしっかり見極めていくことによって、その人の能力、そのものの存在が、いかようにも変化していくことに気付くと思います。
この宇宙にある『個』はすべて宇宙の法則、つまり『関係』によって繋がっています。
『個』が100あれば、その関係は10000個、『個』が無限にあるのならば、『関係』は無限×無限個あるということです。
身の周りにある『関係』だけを意識して生きるだけでも、一生のうちに味わいきれないほどの、興味深い『関係』というものが周りに渦巻いているのが分かると思います。
そして人間の精神活動は、その『関係』をさらに増幅させ多様化させる力を持っています。
人間も含めて、この宇宙のすべては『関係』によって繋がっている。
考え方を変えれば、宇宙はすべてで、ひとつのもの’と言えるのかもしれませんね。
考えるヒント 3 『個と関係』でした
To be continued‥
考えるヒント2 『真善美』
今日は『真善美』についてお話したいと思います。
真善美とは、真理、善、美の三つを一言で言い現した言葉で、2500年前の偉大な哲学者が提言した言葉です。
『真理』とは、この宇宙に在るもの全ての真実を知ること。
『善』とは、相対的に全ての個人の魂に備わっている善悪の心のうちの善の心を行うこと。
『美』とはこの宇宙における絶対美、あるいは相対的に全ての個人に備わっている美を追求し創造すること。
これら3つのこと以外は全て人間の“欲”からくるもので、『真善美』以外のことは全てを自分の中から消し去るべきである。
これがその哲学者の最後に辿り着いた思想です。
この考えをそのまま進めると、『命』すらも大切なものではない、ということになってしまいます。
しかし一般にいう命とは、人間の思想や文化なども含めたものであり、そこから『真善美』を取り去れば、後に残るのは他の生物と同等の普遍的な『命』のみが残るだけです。
つまり『命』が大切だ、という言葉は間違いであって、『命』の中の『真善美』こそが大切である、と言い変える必要があるのです
このようにすべてのものは真善美を取り去れば何も価値を持たないものに帰するのです。
そしてそこには人間の欲からくる思い込みの価値だけが残ります。
それではお金や物、命などに重きを置き過ぎる現代の風潮の中から、どのように本当に大切なものを見つけていけばいいのか。
そこで『考えるヒント』です
人生の中には様々な価値が渦巻いていますが、そのすべてを『真善美』を基準にして、『真善美』がそれらのなかにどれだけ含まれているかで価値を計るようにするのです。
常にいついかなる時でも『真善美』を意識し、自然とそういった目線で、自分自身と世界をとらえられるように、日頃から心と考えを訓練しておくのです。
そうして自分の中から欲にかられた価値を完全に取り除けば、外界の間違った雰囲気や空気に呑まれることなく、真に、『命のなんたるか』、『精神のなんたるか』、『この宇宙存在のなんたるか』、が見極められるようになってきます。
そうすることによって初めて、ただ生をまっとうするだけの人生から抜け出し、その荘厳なる真実と美に溢れた世界と一体となった善き『命』を送ることができるのです。
『真と善と美』、あなたは一生を賭け、それらを極めていくことができますか?
考えるヒント2『真善美』でした
To be continued‥