考えるヒント10『性善悪説』

今日は『性善悪説』についてお話したいと思います。


人間には色々なタイプがおりますが、人に悪いことばかりする人もいれば、人に善いことばかりする人もいます。「善」と「悪」、はたして人間の本性とはどちらなのでしょうか。
過去の様々な哲学者、思想家、宗教家がこの難題に取り組みましたが、意見は真っ二つに割れ、人類にとっての最大の疑問となっています。
その最たるものが『性善説』であり『性悪説』です。

「人は生まれながらに善である」

「人は生まれながらに悪である」

はたしてどちらなのか?
殺しあいの歴史を見れば悪であり、産み育てる歴史を見れば善である。



それではここで『考えるヒント』です


人は生まれてからの育てられかたで、どんな精神でも持ちうるのであるから、この問いは生まれた時にすでに持っているものが『善』と『悪』のどちらなのかという問いであるのであり、つまりそれは人の「DNA」に「善の行動」もしくは「悪の行動」のどちらが刻まれているか、ということなのです。


この世の生物にはすべて、子孫繁栄のDNAが刻み込まれています。なぜならそれがない種(しゅ)、もしくは弱い種は過去にすでに絶滅しているはずで、現在にその種が受け継がれている=強烈な子孫繁栄のプログラムがDNAに刻み込まれているということです。

それでは子孫繁栄のためには、相手を殺して相手の物を奪うべきか?それとも相手と手を組んで仲良く分け与えるべきか?

答えは

「リスクを侵さず奪えるなら奪うべきであり、それにより怪我や落命の不利益のほうが可能性が高ければ仲良くするべきである」
(ちなみにこれはルールがまだない頃の人類の話しの例えであり、その頃とDNAは現在もなんら変わっていない)

これは森に木の実をとりに行くのも、獣を狩りに行くのも、他の部族を攻めるのも共通していえることです。
リスクがあるなら避けるべきで、森や他部族と共存して生きていくのもまた子孫繁栄にとっては大事なことなのです

つまり、「衣食住」を整えるためには

『悪』=「自分以外から奪う」

ことが必要であり

自分の「命」のリスクを考えた時には

『善』=「共存の道を選ぶ」

ことが必要なのです。

つまり人間には『善』と『悪』の両極が必ず刻み込まれているのです。もしどちらかが欠けていれば人類はとうの昔に滅んでいたことでしょう…


性善説』でもなく、『性悪説』でもなく



『性善悪説』…こそが人間の本性なのです





あなたにも必ず『悪』があります…


あなたの着ているもの…
あなたの食べているもの…あなたの住んでいる家…

すべてこの地球上の生物から奪いとったものです…



そのことをきちんと理解し、それでもなお、私たちは生きてゆかなければならないのですから、せめて出来る限り

「真」『善』「美」

を考え、それに一生を捧げるべきなのではないでしょうか…





考えるヒント10『性善悪説』でした…



To be continued…