考えるヒント25『人類がネットに支配される日』



ネットというものが持っている機能には大きく分けて3つの種類があります。

1 調べる
2 楽しむ(観賞)
3 コミュニケーション

『調べる』というのは辞書や新聞、学問や本の延長上であり、使い方さえ間違わなければ大変に便利で有用なものです。
同様に、『楽しむ』というのもテレビやゲーム、音楽の延長上で有用なものです。(ちなみにショッピングというのは1、2、3を合わせたものです)
ただし、もとから便利ではまりこみやすいテレビやゲーム、最新ニュースやショッピングなどがさらに便利にいつでも手元にある状態というのは、人間という楽をする動物にとって結果的には、かなりの致命的な発明でした。

そして最後に『コミュニケーション』という部分に、化け物のようなものが現れます。
当初、メールや書き込みというものは基本的に手紙の延長上であり、パソコンでやっている時代にはそれを高速でやりとりしているだけのものでした。
携帯電話はそれをさらに高速化させましたが、依然としてパソコンには機能的に劣っているため、人間を牛耳るほどの存在にはなり得ませんでした。
しかしパソコンを持ち運べるスマートフォンという最終型が普及し、それに追随して、コミュニケーションツールが爆発的に発達しました。(おそらく何万年経とうがスマートフォンが最終型となります)

これは何を意味するか。

コミュニケーションツールが発達しすぎると、皆それぞれが監視されている状態になります。
リアルタイムで目の前に相手がいるかのような状態になるのです。(場合によっては複数人~全校生徒など)
さらに皆が私生活をさらけ出さざるをえなくなり、周りに合わせにかかります。やらないと村八分にされてしまいます。

こうなると、それに費やす時間が爆発的に増え、さらに皆が均一化の方向を一挙にたどります。
結果、コミュニケーションし過ぎることによって、個性もなく、特筆すべき能力もない均一化された、ネットの化身のようなつまらない人間ばかりが生成されていく世の中が永遠と進化し続いていくのです。それまでその他の事に費やしていた時間が、すべてネットに費やす時間へと変化するのですから、当然そうなります。ネット以外の分野はほぼ壊滅です。

以前、テレビが人間を支配すると言われた時代がありましたが、その理由は「テレビは一方通行でありコミュニケーションがとれず、嫌になればスイッチ一つで消すことができる、人間からはかけ離れすぎた便利なものだから」というものでした。

しかしネットという化け物は、逆に内面にコミュニケーションという人間の性(さが)を取り込むことにより、スイッチ一つで消すこともできなければ、落ちついて一人の時間を取ることも許さないように操ってくるのです。しかもそれはどんどん進化していき、相互に監視させ合い世界中を巻き込んだ巨大な化け物へと膨らんでいくのです。

世界大戦をしようが、大飢饉が起ころうが、天災であろうが水爆であろうが、これらは物理的な人類に対するダメージであり、そんなぐらいでは人類は滅ぼせないし、もし半分が死んでもまた増えていくのでびくともしません。

しかしネットは物理ではなく精神的に人類を滅ぼしてきます。しかも人類を使ってどんどん進化していく。映画のようにロボットに物理的に支配されるほうがまだましなのです。あの場合は精神はしっかりしてますから。

こんな化け物には人類は過去に出会ったこともないし、今後何万年経とうがこの化け物は進化し続け、人類を精神的に支配し均一化し続けていくのです。

これは宇宙の物理的な構造であり、宇宙中のどんな知的生物でも、最終的にはコミュニケーションを取りすぎるネット的な化け物に支配される道を辿るのです。こうならないことなどあり得ない。人類は何万回一からやり直おそうと、最終的に必ずこの化け物を発生させ、そして支配されるのです。さらに言えば何万回も連続でスマートフォンという最終型にたどり着くのです。
そして発生した後は永遠にその機能のみが進化し続けていく。
(その宇宙物理的構造をかいつまんで説明すると、知的生物には必ず言葉が発生し文字が発生する。文字は必ず平たい紙のようなものに書く。相手に意思を伝えるために船や使者、飛脚や郵便にその紙を運ばせていたのが、インターネットにより、一瞬で相手の国や家のパソコンという平たい紙に届く。パソコンを小さくし携帯化し常に持ち運び、どこでもいつでも一瞬で世界中の誰とでも文字をやり取りする。
この上はありません。永遠にスマートフォンの機能が少々進化するだけです。)


つまり、人類(知的生物)は誕生した時点で、必ずいつの日か最終的にコミュニケーションツールに支配されるのが決まっているのであり、その最終型が蔓延してきたどこかの時点を「特異点」として、爆発的にネットワークの支配領域が広がり、それ以降のあらゆる世代は、全く人間味のないネット支配の賜物のような意味のない価値の低い世界が永遠に続くのです。


そして…


かろうじて素晴らしいものに対する感受性を持ち得た『残陽のような人々』が最後に向かうのは、その特異点以前の素晴らしい時代や作品や人物伝、それぞれの国が辿った歴史、そういった過去の遺産にのみ、意味を見いだし、感激し、いにしえのみを懐かしむという時代がいつの日かやってくるのです。


人間ひとりひとりが、自分だけの世界をしっかり持ち、他に影響されず十人十色に生き生きと人生を過ごしていた、ネット特異点以前の短い数千年の時代。
それこそが人類の本当の宝なのであり、人類が発生した『意味』なのです。


人類の発展の20%~80%の期間にしか、本当に素晴らしい時代や人物や芸術や物語は発生しない。

人間とは、前の時代のほうが素晴らしいと、そうすべきと解っていても、楽な方へ流れていく、そういう生き物なのです。

したがってどう間違っても今後何万年経とうが素晴らしい時代は二度とやってこない。スマートフォンに支配された時代が永遠と続くのみです。



その人類の文化の終演、そしてネット支配の特異点へと向かう『はざま』の時代という特別な時代に生きる我々は、何百年、何万年後の彼らに、何を遺し、何を伝えることができるのでしょうか…





考えるヒント25
『人類がネットに支配される日』でした



To be continued…