考えるヒント23 『すべての人間は先生である』

世界中のどんな場所でも、親は子に教え、上司が部下に教え、先生が生徒に教える。

両者の関係はこれで終わりと思われがちですが、まれに親も上司も先生も教えながら自分も学んでいるのだ、という見識の深い言葉を聞くことがあります。
大抵はここまでなのですが、よく考えれば、親も上司も先生も学んでいるのならば、子や部下や生徒はある意味、逆に教えてもいるということです。
もちろん教える内容は異なります。生徒は生徒が学ぶべきことを学ぶし、先生は先生としての学ぶべきことを学びます。
したがって、生徒がいなければ先生は学べないし、生徒が学校や授業や先生に興味がなく、やる気のない態度をとり続けたなら、先生は先生としての学ぶべきことを全く学べません。
親もしかり、上司もしかり、リーダーも、キャプテンもしかりです。

しかし世における多くの場合、上の者は自分のためだけではなく、下の者のためを想って考え、教え、行動しますが、下の者は自分のためだけに教えてもらい、行動します。

「教えてくれる先生のためにも、少しでも成長した自分を見せられるよう頑張る」
このように考えてくれる生徒ならまだしもですが、
「自分のために教えてくれているのだから、自分の興味がないことは聞かなくてもいいし、自分が他のことをしたいと思ったなら構わずそうすればよい」

こうなればその関係は崩壊し、生徒も先生も全く学べなくなります。


したがって、子や部下や生徒は「自分は教えてもらうだけ」という間違った固定概念を改め、自分という存在がその家庭、その職場、その教室を、親や上司や先生とともに築き上げ、上からの一方的な教育だけではなく、相互的に絡み合い、学び合い、成長し合う、その「場」における根本的な土壌を自分自身が担っているのだということを認識しなければなりません。
つまり簡単に言えば、下である自分から、先生や上司や親や先輩に対して、向上心や気持ち、やる気が乗っていっている状態を示し、上の者のやる気や尊厳や意味やさらなる向上心を造りだし、相互に立場や意識空間を造り合うのです。そしてそれは必ず数倍になって自分にまた返ってくるのです。

吉田松陰松下村塾などはまさにその典型です。結局、松陰が誰よりも教えられ、成長している。そしてその弟子が国家の中枢の半分を占め、明治維新において列強から国を守るという偉業を成し遂げるのです。


この「相互的な場の形成」というものは、例えば、他人の家を訪問するときも同じです。
家の人は部屋を綺麗にし、精一杯接待し、おもてなしをしますが、訪れた人も精一杯その家を楽しみ、おもてなしを心からありがたく受けなければいけません。
友達とどこかへ観光に行ったり遊びに行ったりするときも、そして他人の芸術作品にふれる時も同じです。


つまり、この世界で生きている以上、自分が途方もない生を受け継いで生まれてきた以上、他人やこの世界に対して、いついかなる時も、どのような「場」にいるときでも、自分自身の役割を認識し、他人やこの世界に対して有益であり続けなければならないのです。


そのように心がけていない、そのように行動していない人間は、たまたま周りの素晴らしい人間や、国や国民のために寝る間も惜しんで努力してくれている上の人たちのおかげで、なんとか生きていけているのであり、こんな過ごしやすい世の中が勝手に出来上がるわけはなく、つきつめれば、過去の自分に繋がる遺伝子を有した何万という人間すべてが、なんとか前述のような相互に絡み合った人間関係、世界との関係を生き抜き、築き上げ、成し遂げてきたからこそ、自分自身の存在、今現在の生活が有るのです。


すべての人間は子、部下、生徒であるときも、親、上司、先生であるときも立場を問わず、学び、教え、相互的に助け合い、絡み合いながら生きている存在なのです。




カントが導き出した最高哲学に『道徳律』というものがあります。



『汝のなそうとしているまさにそのことが、そのまま世の中の道徳や、人類の行動規範となっても構わないと思われることのみを行え。全人類がそれを行えば、理想と目的に満ちた素晴らしい世界が訪れるであろう』



まずは自分の今いる家、学校、職場、友人関係などにおいて、自分は如何なる存在であり、如何なる行動をなすべきか、それを自問してみてはいかがでしょうか。




考えるヒント23『すべての人間は先生である』でした



To be continued…