考えるヒント6 『無知の知』


今日は『無知の知』についてお話したいと思います。


『人は知っていることしか為しえない』


このことを理解しておくだけで、自分の人生の不透明感も、周りの人への恐怖心もすべてなくなります。
自分の「知」らないことを周りの人ができるのは、周りの人がそれを「知」っているからです。もともと周りは出来て自分は出来ない運命、というわけではないのです。逆に自分にしか出来ないのは自分だけが知っているからに他なりません。
それは誇ることと言えば誇ることではありますが、ただ人よりもそれに多くたずさわって知っているから出来るのであって、当たり前のことです。

別の意味で考えれば、例えばレストランなどで突然会計のレジが列び出します。それまでみなさん楽しそうにバラバラの席で食事していたのが、なぜ突然列びだしてうしろでイライラしているのか。
それはある一組がレジに立った途端、全ての客が、それまで意識してなかった「レジに立つ」「帰る」という事柄を『知』ったことによって、レジに立つ行為が出来る状態になったということです。それまでの会話に花が咲いた状態ではレジに立つ意識が働いていない状態、つまり知らないのとなんら変わらない状態ということなのです。
人は知っていることしか出来ないのです。
ちなみに「今並んでいるからもう少し席にいたらレジがすく」ということを知っている人は列ばなくてすみます。

これは一例で、日々よく観察していれば、知っていることしか出来ないということが、全ての人間に当てはまるのがよくわかってくると思います。


そういった部分におけるそれまでの知識、考えが足りない分、知った瞬間にほとんどの人間は反射的な行動をとってしまうのです。
あらかじめその事実が理解できていれば、無駄な言動や反射的な行動をしなくて済みます。


たいていの人は、人間は勝手に成長していくものと勘違いしていますが、そんなことはありえません。知っていることしか出来ないのですから、より努力して多く知った人はより成長するし、少ししか知っていかない人はほとんど成長しません。子供みたいな大人になります。しかし子供のような感受性はなくなりますから…厳しいものです。
わかりやすく言えば、赤ん坊にほんとに何も教えてやらずに育てれば、体だけが成長してあとは何も成長しません。話すことも、人に気をつかうことも、ピアノを弾くことも何もできません。
だから親は必死で子供を育てるべきだし、本人は『無知の知(自分は知らないということを知る)』を知ったなら必死で努力してより知ろうとするべきです。

知れば出来るようになります。より多く知ればより多く出来る(考えられる)ようになります。

知り方は様々です。読書、人との関わり、学校の勉強、自分の中での試行錯誤。知ることの大事さを理解していればどんなところからでも学ぶことができます。そうして初めて、自分の狭い井戸から抜け出して、この広い世界や人間の奥深さが解るようになるのです。


人生の出発点は二つあります。一つは『誕生』、もう一つは『無知の知』を知った時です。

自分は知っている、自分は正しい、と思い込んでいたということを知った瞬間、もう一人の自分が生まれてきます。


二人の自分がしっかり対話してより良い答えを導き出せればすばらしいですね



考えるヒント6『無知の知』でした


To be countinued‥