『音楽を考える 2』


『この宇宙は複数のもので出来ている』


これはつまり、宇宙は0でもなく、1でもないということである。
『複数』であると必ず発生する基本数がある。それは『2』と『3』である。『複数』のすべては『2』と『3』で分解できる。
つまりこの宇宙はすべて『2』と『3』が積み重なって出来上がっているということである。
『4』は2と2。『5』は2と3。『9』は3と3と3。もしくは2と2と2と3。といった具合である。

したがって音楽にも基本的には2拍子系と3拍子系しかないのである。

そしてこの宇宙がなぜこれほど素晴らしい多彩なものに溢れているのか。それは単体ではなく複数であるからで、複数のものが重なり関係を持ってこそ整うのであり、『1』が2度繰り返されて初めて整いが生まれるのである。
その最小複数である『2』を2回繰り返した時にこの宇宙で最も整った『4』という数が生まれてくる。

この『4』というのは複数を複数にしたときの最小の値であり、素数ではない数の中で最小の値である。

つまり『4』ほどシンプルで整った数はないのであり、この宇宙は『4』へ向かう、もしくは落ち込んでいき、そこで整い、そこへ行き着くのである。

その証拠にこの世界のほとんどのものは四角形である。円や三角形や五角形のものを見つけるのが難しいぐらい、見渡すかぎりほとんどが四角形である。

そして特に人間の作ったものに四角形が多いのは、そこへ向かわせているという証拠なのである。『4』は何よりも安定するのだ。

そしてその恩恵を最も受けているものの一つに『音楽』がある。

音楽は時間をつかさどる芸術であるが、必ずそれは4分割される。実際には2分割だがより安定するために『2』を2回繰り返し『4』となる。
音楽のほとんどは4拍子であり、例え3連符を3回繰り返す9拍子を刻んだとしても、その9拍子を4回刻んだところで安定し36が基本の小節になる。

このように世界中どこで音楽を奏でようとも、どんな音楽であろうとも、必ずその音楽は『4』に支配される。逆に『4』という数のおかげで音楽は生まれることが出来たともいえる。


例えば5世紀頃発生したとされる日本の俳句、短歌を見てみる。

『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺


『春すぎて 夏きにけらし しろたえの ころもほすてふ 天の香久山』


これらは明らかに4拍子である。手で拍子をとればよくわかる。しかも誰が唄っても『鐘』の前に8分休符が入るというぐらい正確に、どうやっても4拍子にしかならない。

音楽知識も楽典も楽譜もなにもない1500年も前の時代に、言葉をより美しく語ろうとした結果が、4拍子というところに自然と落ち着いたのだ。

ちなみに『字余り』というものは、5が6や7になったり、7が8になったりする。俳句や短歌では頻繁に使われるが、決して7が2字余りで9になっている歌は一つもない。
なぜか‥
それは4拍子には8分音符が8個しか入らないからだ。だから5を字余りで6や7にしても、後ろに休符が3つ分あるから大丈夫だが、9にすると4拍子ではなくなってしまう。これが字余りで8を超えることがない理由なのである。


お経となるとさらにすごい。だいたい2500年前からあると言われているが、基本的には4拍子で刻み、ここぞという部分や段落の変わり目などに随所に3拍子をはめ込んでくる。
あれはどう聴いても『第九』のすさまじいリズムの部分などよりも遥かに難しい。

昔の人はいったいどんな精神を持って短歌やお経などを作ったのであろうか。
おそらく言葉に最大に力を持たせることを死に物狂いに追求した結果であろうが、本当に頭が下がる想いがする。
つまり音楽の発祥は少なくとも2500年よりもさらに前の人たちによって始められたということなのだ。


もっと言えば宇宙が始まった時点で音楽も始まったともいえる。
この宇宙では『4』が必ず基本となるよう、宇宙の秩序が定められているので、宇宙中どこへ行っても、どんな異星人が音楽を奏でても、必ず基本は『4拍子』となるのである。
つまり100万光年彼方でも同じように音楽は刻まれるのである。



そして、言葉に少しでも想いを込めて力を持たせようとしたなら、



『そこに必ず“音楽”は発生するのである』




『音楽を考える 2 』でした


To be continued‥