考えるヒント20 『美しき世界』

今日は『美しき世界』についてお話したいと思います。


『何故世界はこんなにも美しいのか』


この美しすぎる世界において、人間が感じる美しさには三つのものがあります。

一つは人間自身が作り出す美しさ。
絵画や建築、音楽や文学、文化遺産、人々の歴史や人生そのものがまさに美に溢れています。


二つ目は自然が作り出した何万年と変わらない不変の景観としての美しさ。
アルプス山脈南極大陸、太平洋の海や島々、グランドキャニオンにビクトリアの滝、この大宇宙の星々など、壮大かつ優美すぎて言葉も出ないほどにその美しさに圧倒されます。


そして三つ目は、変化を伴う動植物が見せる四季折々の素晴らしい光景としての美しさ。
例えば日本の野山を一年間眺めると、春は花々が咲き乱れ桜色に染まり、梅雨には衣をほしたような白く薄い霧に覆われ、夏には草木が青々と生い茂り、秋にはかえでの紅葉が山肌を下り、冬にはまさに古来より詩に詠まれたごとく、藍白という一面真っ白な静まり返った世界が現れる。



もし多様なほど素晴らしいというのが事実ならば、四季においてこれほどに表情を変える自然を有する唯一の国、日本ほどに美に溢れる国はないということなのです。

一年中真夏の珊瑚が綺麗な太平洋の島、一年中壮大な美を見せるアルプスの山々、広大な一面の砂漠や草原、それらにいくら接したところで一生その不変の同じ表情の美を見つづけることしかできません。
しかし日本においては、先に挙げた5つの季節に加えて台風、地震なども伴い、たったの一年でとんでもない多様な表情を見せる自然を目の当たりに生きていくことができます。

しかもほんの100年前まではビルもコンクリートも車も冷暖房も何もなく、大自然がまともに人体と心に直接染み入る生活を送っていました。


だからこそ、自然というものに儚さやもののあわれといったものまでも感じることの出来る唯一の民族に日本人はなることが出来たのです。


かつての、日本の芸術、日本の文学は世界中のあらゆる芸術、文学よりも遥かに優れていて、他の国々よりも500年先んじて芸術、文学を極めていたと言われていましたが、まさにそれこそが、日本という国土が持つ『変化』を多分に伴った自然というものが作り出した、常ならぬ儚き『美』だったのです。
明治時代には世界一の芸術大国フランスの美的感覚を根底から覆してしまうぐらいに、近代以前の繊細な日本の芸術は群を抜いていたのです。


しかし、現代の日本人は野山から遠く離れ、自然を感じることなく、ビルやコンクリートの家や冷暖房と肩を寄せ合った生活を送り、変化を伴う儚いものに対する繊細な美や感覚を失った状態になっています。

変化を嫌い、不変を好む人間ばかりが増え、したがって自らを変え成長させることを嫌い、今の自分を絶対視してしまう、欧米や世界の国々の人間とさほど変わらない、自己中心的で、情緒、繊細さ、もののあわれなどの感性を失った人間が増えてしまったのです。




   方丈記鎌倉時代


ゆく河の流れは絶えずして

  しかももとの 水にあらず

   よどみに浮かぶうたかたは

  かつ消えかつ結びて

 久しくとどまりたる ためしなし

  世の中にある人とすみかと

    またかくのごとし





このような繊細で自然の摂理をわきまえたような情緒的感覚は、もはや現代人では持ち得ないように思われます。

近代化を成し遂げた日本人(人類)は、このような美や感性を失ってまでも、何か得るものはあったのでしょうか。

そして、その流れに乗ってそのままコンクリートと冷暖房ばかりの生活に甘んじている我々は、何を求め、どこへ向かうのでしょうか。



この美しき世界が与えてくれる「常に非(あら)ず」の感性を、もう一度呼び戻す為にも、そのような大自然が身体全体に染み渡る生活にもう一度身を投じ、そうして本当に大切なものは何なのかを、コンクリートの世界にいた頃と比較してみる機会を、我々は一生のうちに一度は必ず持つべきなのです。




70年前まではすべての人が当たり前のように持っていた、『美しき世界』が与えてくれる感性を、本当に大切なものを、あなたは知らないままに一生を終えていくことができますか?





考えるヒント20『美しき世界』でした



To be continued…