考えるヒント15 『多様性』
今日は『多様性』についてお話したいと思います。
「多様なものほど素晴らしい」
このことはよく考えればすぐにわかります。例えばこの地球上に人間しかいないよりも、他の何百万という種類の生物がいたほうがいいし、この宇宙が炭素だけで構成されているよりも何十何百という元素で成り立っているほうがいいし、目で見える色が青一色よりもいろいろな鮮やかな色が見えたほうがいい。
もし音が3音しかなかったら音楽もできません。
このようにより多様であるほうが素晴らしいというのは宇宙における明らかな事実なのです。
そもそも宇宙が0(=存在しない)であることをやめてビックバンでの誕生により1以上(=存在する)になったこと自体が『宇宙は多様を求めている』ということなのです。
ちなみに『統一性』という素晴らしさはその『多様性』の上に成り立つものであって単独では存在しえないものです。
つまりなによりもまず多様でなければならないのです。
『シンプル』という素晴らしさに関しても、『多様』であればシンプルも多様も存在し得ますが、『単一』しかなかったらシンプルしか存在しなくなります。シンプルしか存在しなかったらもはやシンプルという素晴らしさすら存在出来なくなるのです。
この世界には様々な『文化』があります。なぜこれほどまでに多様な文化が生まれてきたのか?それはこの地球上には無数に異なる環境条件があり、その土地その土地で生きていくための最適な文化を創り上げていかなければならなかったからです。
人口が多い地域では宗教や法律(ルール)を発達させ、寒い地域では雪や土に穴を掘って暮らし、熱い地域では高床にして湿気を防ぐ。
逆のことをすれば途端に滅んでしまいます。
そうして多様な国土や自然の中から生まれてきた『多様』な文化があるからこそ、この世界は素晴らしいのであり、日本もほんの100年前までは色とりどりの地域があったがゆえに素晴らしかったのです。
そして「文化の交流」も、ある程度以上、交通や情報網が発達しない限りにおいてはさらにその土地土地の文化を高めるためには必要不可欠なものであったのです。
しかし‥
この文化の『多様性』を維持出来る範囲を越えた、極端な「文化の交流」があった場合、逆に世界中の文化は「単一化」の方向を一気に辿り、『多様性』を失った文化は諸手をあげて崩れ落ちてしまうのです。
西洋において大航海時代以降、世界を単一化する方向が進み、さらに近代のここ100年における科学技術の発達により、「交通」「情報伝達」が進み過ぎたため、世界はまさに均一化され、日本もアフリカも南北アメリカもアジアもどこへ行ってもビルばかり、車ばかり、冷暖房の効いた屋内で一年中同じことの繰り返し、というなんの面白みもない世界になってしまったのです。
何事も広め過ぎてはいけない。
『狭く浅く』も『広く浅く』も『広く深く』も結局は滅びてしまう。
『狭く深く』これこそが多様で素晴らしい文化を養う唯一の方法なのです。
可哀相でも遠くの他者や国はほおっておかなければならないのです。海外支援なんかをするより、いかにすればその国の文化を孤立した状態で保てるかが大事なのです。そのためには何も干渉しないことです。
自分の周りの人にだけ精一杯尽くせば良い。それができた時にだけ、あとの余力で少しだけその輪を広げるぐらいでよいのです。決して国を越えて文化を押し付けてはならないのです。
多様であるほど希少価値が生まれ、均一であるほど価値が失われる
もし‥
モナリザの絵が1000枚あれば
もし‥
世界中の絵がモナリザと似たりよったりの絵ばかりなら
もはやモナリザの価値はないに等しいものになってしまうでしょう‥
この世に『均一化』ほど恐ろしいものはないのです‥
考えるヒント 15 『多様性』でした
To be continued‥