考えるヒント16 『科学の進歩』

今日は『科学の進歩』についてお話したいと思います。


現代の人間はどうやら物理や科学というものにたいへん弱いように思われます。科学の本質について全く解っていないのです。
昨今、最先端技術などがもてはやされて久しいですが、それは言葉を変えれば、もはや最先端、末端、枝葉の部分しか進歩出来る領域が残っていないことの裏返しなのです。
まだまだ未知の領域が溢れかえっているのに、誰が、一つのことだけを、95のものを96にするために生涯を捧げますか?
20や30の領域のものが溢れかえっているなら、誰でもそれらを60や70にするために生涯を捧げるでしょう。
しかし科学の分野においてはすべてが進歩しつくし、90~100の領域のものがほとん どというのが現状です。
人々は最先端という言葉に惑わされて、科学や文明はどこまでも進化していくと思い込んでいるだけなのです。

200年後も1万年後も、トラックがビュンビュン走っているし、水道の蛇口から水をひねって出すし、畑を耕して食べ物を作るし、小さい頃から親に勉強、勉強と言われるし、家やコンクリートで雨風をしのいで過ごすのです。

未来映画のようには決してなりません。

何故なら、物理科学的に見て、地上では物は車輪で運ぶべきだし、水道技術は人類の誇るべき最高技術であるし、食べなければ人は生きていけないし、いくら人類は進歩しても赤ん坊にはまた一から教え直さなければならないし、雨を降らさないことも出来ないからです。

200年後も1万年後も、車が空を飛ぶこともなければ、機 械から水が溢れ出てくることもなければ、生まれてすぐ知能をインプットされ太陽の光だけでエネルギーを補給する人間も誕生しないし、バリアーを張って雨風外敵を防ぐことも出来ないのです。

そんなことができれば神業(かみわざ)で、人間は科学、物理法則に則ったことしかできないのです。



人間は神ではないのです‥


神ではないが非常に賢い生き物で、すぐに人間業の限界まで到達してしまう生き物なのです。


科学は2000年の時点で進歩しきっており、これから未来にはほぼ一歩も進歩しないのです。


皆さんは、何もないところから白黒テレビが突然現れるのと、白黒がカラーテレビになるのと、カラーが液晶になってさらに綺麗になるのと、どれが一番衝撃 ですか?
その90%の衝撃は白黒テレビがさらっていくでしょうね。
液晶や3Dなどものの数ではないのです。
テレビにおいて白黒の衝撃を超えようと思うなら、テレビの中からシマウマや料理がいきなり飛び出してこないかぎり無理でしょうね。でもそんな物理法則を無視した神業は実現しません。
50年も昔に人類はその進歩の80%をすでに達成していたのです。『最先端』に惑わされ、人々はその本質が全く見えていないのです。


これまで人類史は様々な苦難が起こるたびに科学の進歩によってその苦難を乗り越えてきました。科学の進歩がそれを覆い隠してくれたと言ってもいいでしょう。
科学の凄まじい力で地球の資源を掘り尽くし、それにより異常な豊かさを手に入れてきたの です。


そしてこれからの200年、1万年はもはやその苦難のオブラートである『科学の進歩』はもはやないのです。

はたして人類は今後、苦難に直面したとき、何をよりどころとしてそれを乗り越えていけばよいのでしょうか。


『科学の進歩』がもはや使い物にならないと悟った時、人類はその苦難から新たな救いの業を生み出すことができるのでしょうか。



新たな救いの業‥



それはまさに


『真・善・美』


以外にはありえないのではないでしょうか‥



考えるヒント16『科学の進歩』でした


To be continued‥